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  旅先乙女

伊那谷の冬旅 

Posted on 15:46:45

 長野県伊那地方、いわゆる伊那谷の魅力の第一は東に南アルプス、西に中央アルプスという贅沢な眺めを満喫できることです。谷といっても伊那盆地という別名があるくらい、天竜川によって形成された河岸段丘が広々と開けています。安曇野にも引けを取らない風光明美な地域ですが、観光スポットとしては桜の高遠城、ロープウエイで上る中央アルプス、天竜舟下りくらいしか知られておらず、訪れる客はそう多くありません。
 しかし旅行社のパンフレットに載る名所を訪ねるだけが旅ではありません。隠れた歴史や伝説を訪ねる旅こそ、時間をさかのぼるような魅力を秘めています。今回は観光地として有名な高遠城には目もくれず、周辺の隠れたスポットを時季外れの冬に訪ねてみました。

南アルプスの仙丈ヶ岳
仙丈ケ岳

中央アルプスの南駒ケ岳・空木岳
空木岳

 伊那市街から三六一号線で高遠へ向かう途中、旧美篶(みすず)村の田園の中にある井上井月(せいげつ)の墓に詣でました。墓は自然石の質素なもので、放浪の俳人にふさわしいたたずまいでした。井月は越後長岡藩生まれといわれ、安政五年(1858)ごろ飄然と伊那谷に現れて乞食(こつじき)をしながら多くの俳句や書を遺し、明治二十年(1886)66歳のとき野垂れ死にのように亡くなりました。その俳句と書は芥川龍之介に激賞され、句と生きざまは種田山頭火に強い影響を与え、山頭火は遠路美篶まで墓参に来ています。
 いま井上井月顕彰会によって「伊那の井月、ほかいびと」という映画が作られています。2009年に撮影が開始され、2011年9月から上映が始まります。「ほかいびと」とは「ほかい(寿、祝)」に生きる人、つまり家々を巡る門付け芸人のことで、いつしか食を乞う乞食者を意味するようになりました。井月を演ずるのはNHK大河ドラマ「龍馬伝」で圧倒的な存在感を示した吉田東洋役の田中みん泯です。

井月の墓
井月の墓

井月の俳句「何処やらに鶴の声きく霞かな(絶筆)」と書)
井月の俳句

 高遠から秋葉街道を南下すると、いま話題のゼロ磁場の分杭峠(ぶんぐいとうげ)に至ります。宇宙の「気」が集まる場所として注目され、ムシロに座って気を浴びている人たちがいます。病気や腰痛の治療に効くのだそうです。ただし冬は雪が積もっていて行くことはできません。
 分杭峠手前の入野谷(いりのや)から三峰川支流に沿って入り杉島から山道をさかのぼります。日陰には雪が積もっていますが、しばらく上っていくと「浦」という集落に着きます。世間には余り知られていませんが平家落人伝説の集落です。ほとんどの家が小松姓を名乗り、小松内大臣平重盛(清盛の嫡男)の墓を守っています。春の彼岸の中日には墓に赤旗を立て先祖祭りを行ってきました。ここを昔は壇ノ浦村と呼んだそうです。重盛の子、維盛の流れをくむ者が落ち延びてきたという説もあります。いずれにしろ平家に関わる者が先祖であったと思われます。西海で散った平氏が信州の山奥に隠れ住み、壇ノ浦の名を残しているということにロマンを感じないわけにはいきません。

小松内大臣平重盛の墓
平重盛の墓

伊那市文化財指定の掲示
小松氏の由来

 高遠に戻って蕎麦屋「ますや」に寄りました。徳川家光の異母弟、保科正之が高遠藩主のとき、辛み大根おろしと焼き味噌の「からつゆ」で蕎麦を好んで食べたと伝えられています。正之は最上から会津へ国替えになり、従った家来たちは高遠の蕎麦の食べ方を会津へ伝えました。会津の蕎麦屋では大根おろしと焼き味噌のつゆで食べる蕎麦を今も提供していて高遠蕎麦と呼んでいます。「ますや」の高遠蕎麦は特製の出汁に焼き味噌と辛み大根おろしを溶いて食べさせますが、蕎麦もつゆも秀逸な味わいでした。

ますやの野簾
ますや

ますやの高遠蕎麦
ますやの蕎麦
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